昨日のこの場所での書いた内容がきっかけで、昨日のレッスン終了時のアンケートでは「お盆って何ですか? もしくは何だと思いますか?
知らない人は自由にお盆について想像して説明してください」という質問を入れています。
こんな質問をした時に真剣に向き合う子供とそうではない子供が出てきます。知っている、知らないは問題ではなく、わからない問題が出てきた時に、単に「わかりません」ではなく、機転を利かせたことを書けるかが大事です。知らないなら知らないなりに、何を書いてくるかは、不思議なことに成績に完全に直結しています。
今回の質問文では「お盆って何ですか?」ではなく、「お盆って何ですか? もしくは何だと思いますか? 知らない人は自由にお盆について想像して説明してください」という聞き方をしています。たとえ自信がなくても、自分で考えられる精一杯の答えを出すことが大切です。
実は、レッスンアンケートでは大人になって社会に出た時の練習にもなっています。
「なにかいい案はないかな?」「〇〇についてどう思っている?」などと意見を求められたとき、「わかりません」と条件反射のように話す若者になってほしくありません。相手からは「この人は使えない」「何も考えようとしない」などと思われ、評価はどんどん下がっていくばかりです。
同じ「わかりません」という言葉も、最近の若者の中には「自分の理解力が足りない」と思うよりも、「説明がヘタだから相手が悪い」という、相手を責めるマインドの持ち主に遭遇することが多くなってきたように思います。子供の頃の学びや生活、姿勢に関する習慣が原因ではないかと思っています。
自分にはまだまだ学ぶことがたくさんあるという自覚が成長し続けられる可能性を高めていくと思いますが、現時点での成績は関係なく、学びに対する前向きさ素直さ、そして粘り強さが決め手です。