東大合格生のノートはかならず美しい、という書籍が流行ったことがあります。今も売れていると思います。ただし、私はこの見方には否定的です。「かならず」という言葉をつけていますが、そんなことはなのにと思います。
私もかつて東大生、東工大生、お茶の水女子生、一橋大生のノートを見せてもらう活動をしたことがありますが、美しいと言えるノートにはなぜかほとんど出会いませんでした。
字が読めないほど汚いノートにはたくさん遭遇しました。但し、本人にとっては自分の字はきちんと読める状態だということは一致していました。
ノートを取ること自体が時間がもったいないという意識の大学生にも非常に多く出会いました。
どう考えても「東大合格生のノートはかならず美しい」というのは少数派ではなかろうかと思ったものです。
但し、こういうことは思いました。
難関大学合格者のノートは「たくましい」です。
勇ましい雰囲気が漂ってくるノートにたくさん出会いました。
よし解いてやるぞ!という気持ちで満ちていて、こうやれば解けるかなという考えを書きなぐりながらという軌跡が感じられました。
ノートは正直です。
女子のノートでたまに出くわしますが、カラフルなアート作品にしていることがありますが、こういうノートは危険信号です。たいてい筆箱の中もカラフルです。内申獲得ではよいのかもしれませんが、一歩間違えると、しかられないノート、勉強したふりノートになり、本番では点が取れないということになりかねません。ノートがきれいなことのほうがよいことではありますが、ノートを書くことの目的は何かが明確にまずあるかどうかが大切です。